跳び箱を跳ぶのは
※mixiからの転載です。
2010年06月05日00:25
5月10日の日記
「奇妙な縁だけど、まだここで気付くべきことがある」
と感じたので、お菓子の詰め合わせを持って教会に行きました。
もし縁が切れる時が来たら、自然と離れていくだろうと思いました。
招かれて、牧師さんの部屋へ。
・人間は霊的な存在。魂がある。
・聖書の言葉は神様の言葉だから、考えても分からない。
・思考は素晴しい道具だけど、使い方を誤ると不幸になる。
・願いが叶うようになるけど、「主にとっての願い」が叶うことになる。
……というような話を聞きました。
「ぜひ! これから教会に通って、聖書を勉強してみて下さい」
「僕は…
ここの人達を見て良い人達だと思うから(あなた達が信じる)聖書も(その道を歩くあなた達にとって)良い物なんだろうな。と思います。」
俺がそう言うと、
「他の人じゃなくて、あなたのことですよ?誰かが、自分の代わりに祈ったり、自分の代わりに信じたりすることは、できないんですよ。」
と、言われました。
今回、この言葉を聞くために教会に行った気がします。
礼拝のあと、食事を頂いて、
「これから掃除を始める」と言うので、トイレと水回りを引き受けて帰りました。
家に帰ると親がTVを見てました。
小さな男の子が跳箱を跳べなくて泣いていて、
「泣いても、誰も代わりに跳んでくれないのよ?」
と、幼稚園の先生が言うのを聞きました。
↓この日記についたコメント
Sさん2010年06月05日 14:13
なるほどね〜。 ん〜。染みた。
誰も代わりには跳んでくれんもんね。ソーソー。
ブログ主2010年06月06日 12:05
「牧師さんが俺に対して話す」
という形をとって、
「俺の本心が話している」ようでした。
信仰はないけど、この人に会えてよかった。
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