ホトケの遊び場

お家に戻ったお花畑の住人

見えなかった満月

 最後にもう一度、Aさんの誘いを断りきれず教会に行き、クリスチャンのみんなが演じる劇を見ました。


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 ステージで祈ったり歌ったりするみんな、キラキラ輝いて見えました。
まるで神様が敬虔なクリスチャンになりきって楽しんでるようでした。


 片付けの時間は、門外漢の自分も参加できたので幸せでした。 
 

 大人たちの礼拝中、退屈していた子どもたちの相手をしたら、こっそり飴玉を貰いました。
 これから、宗教や知識でがんじがらめになるだろう子どもたちを思うと、複雑な気持でした。


 その夜、
「満月が綺麗だから見に行こう。」
ということになり、みんなで教会の屋上へ行ってみましたが、ちょうどビルの看板のかげになって、月は見えませんでした。



 楽しかった日本語学校の仲間とのやりとりは、急に薄っぺらく、色褪せて感じられました。
 表面的に楽しそうにしている仲間たちそれぞれが抱えてる、悲しみのようなものが透けて見えました。(周りの人は、急にヨソヨソしくなったと感じたと思います。)


 それから、子どもの頃、ピアノをやりたかったのに出来なかったのが、急にやらせて貰える機会がやってきたりしました。
「願望」に関心が無くなった途端、次々実現するのは、なんだか皮肉な感じでした。


 そのときの自分は、気づいたことに執着してしまって、ニンゲン的なものごとに、興味がなくなっていました。


 禅では、こういう状態を
「空に酔っている」というそうです。


 心と体の配線が、丸ごと入れ替わる感じで、それからの2年間は、とても苦しい時期でした。


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