起こることへの信頼
三年ほど前、阿部敏郎さんの講演会に行ってみたときの日記です。
※mixiからの転載です。
2010年10月12日20:40
沖縄の人気ブロガー、阿部敏郎さんの「広島いまここ塾」に参加してみました。
早く来すぎたので、会場の廊下のソファに座っていると、
「いかにもスピリチュアルな」人たちが集まってきました。
阿部さんは、白髪交じりですらりと背が高い、おしゃれな服装の
「変なおじさん」でした。
赤ちゃんみたいに、心の底からリラックスした雰囲気を漂わせていて、
「変」です。
講演のあと、ちょっと質問コーナーがありました。
「教会に行く機会があって、そこの人たちを観察しながら内観してたら、
自分が消えちゃうハプニングが起こりました。
でもまた、【自他分離の世界に戻ってしまった瞬間】を覚えてます。」
俺がそう話すと、部屋の人たちは少しザワっとしました。
「数日後、シャレのつもりで、元の思考の世界に戻ったら、自他分離観(自分は独りぼっちだ感)が復活して、あるクリスチャンの女性を好きになってしまって、混乱して、病気になりました。」
「もう一度『全てが自分だ。』って気づきのカタルシスを味わいたくて、
自他分離の世界に戻ったんですね。」
と阿部さん。
あー。それでした。モヤモヤしていたのは。
「初めて気づきが起こったときは
今までの抑圧とのギャップが大きいから、わーーーー! 凄い!
と感激するけどね。
それが当たり前になると、そういう感激はないよね。
同じ体験は、二度と起こりませんからね。」
「開放感」を感じるために
「抑圧」してみたり、
「幸せ」になるために
「不幸」を作ったり、
「解決」するために
「問題」を作ったり、
つい、そういうことやってますよね(汗)
講演会の後、瞑想会をするというので潜り込んで、阿部さんに瞑想のコツを聞きました。
「瞑想は、わたしが何か【すること】ではないんです。
自然に【起こること】なんです。」
「何もしなくても、存在の根源に戻ろうとする動きがあるんですが、
頑張って悟ろうとして、それを邪魔するのが自我なんです。」
「我々は、瞑想を通して何をやってるかというと、
今の流れ、自然と起こることへの信頼を学んでいる最中なんですね。」
この最後の言葉が胸に響きました。阿部さんと会って、その感覚を思い出すことができました。 坐禅を続けていったら、もっとハッキリ見えてくると思います。