ニンゲンの始まり(探求者の終わり)
教会の気づきのあとも、
観照(思考や感情やソトガワの現象に手をつけず眺めること)
を続けていました。
肝臓が腫れたり、体中に湿疹が出たり、
いろんな体調不良に苦しんで、
以前のように坐禅もできない状態でした。
そんなとき、mixiの「川上雪担老師コミュ」で会った
Kさんという方に、
「観照《する》のをやめてごらん。
そしたら、観照が《起こる》から。」
というようなことを言われて、やめてしまいました。
坐禅も浄化ワークも内観も、本を読むのも、
スピリチュアルな探求っぽいこと一切をやめました(笑)
それからは、何の努力もなく自然〜に体が動いて、
ベルトコンベアで運ばれてるみたいでした。
(ていうか、それまでもずっとそうだったんだな〜。と感じました)
コンビニでレジを打ちながら、
店の様子を眺めていると、
突然、風船が割れるような感覚がありました。
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俺が突然笑ったので、隣にいた弟に怪訝な目で見られました。
自我(行為者)もないし、純粋意識(観照者)もないわ。
悟ってない人もないし、悟った人もない。
「ない」もない。何のこっちゃ!
ちょっと後になって、そう思いました。
そのときの気づきは、教会の気づきのときみたいに、
全然劇的じゃありませんでした。
何か答えを得たわけでもなくて、
ただ、答えを得ようとする思いが消えただけでした。
やっと当たり前のニンゲンになれた〜。って感じました(笑)
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